ブログ「火山と古事記」
サルタヒコをえがいた絵あるいは祭でつかわれる面は、この神を「赤」によって特徴づけている。サルタヒコを火山の神とみなすワノフスキーの古事記論を道しるべとして、サルタヒコのビジュアルイメージの謎をかんがえたい。
写真左は、「なまずのボールペンアート」より。
写真中は、サイト「和風クラブ」より。
写真右は、サイト「人力でGO」より。
この3枚の写真からもわかるとおり、サルタヒコのビジュアルは、朱色にちかい赤が特徴。
古事記はサルタヒコの外見について、「上は高天原を光(てら)し、下は葦原中国を光す神」と記すだけで、これでは「光る神」という特徴しかみえません。これに対し、日本書紀は、「鼻がとても長く、背がとても高く、口もとが赤く光り、目は鏡のように照り輝き、それは赤カガチ(ホオズキ)のようだ」と詳細に説明しています。(原文「其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋、且口尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也」)
異様に鼻が高く、赤ら顔というサルタヒコの外見的特徴は、日本書紀に由来することがわかります。
古事記は「光る神」といい、日本書紀は目も口も赤く輝くというサルタヒコ。
なぜ、サルタヒコは赤く輝くのか?
これについて、いくつかの説を見ることができます。
次田真幸『古事記全訳注』(講談社学術文庫)は、サルタヒコを「伊勢の海人系氏族(宇治土公氏)の信仰した太陽神」としたうえで、「上は高天原を光し、下は葦原中国を光す」という古事記の記述は、「太陽神的な性格を示す言葉」だと注釈しています。
早稲田大学の教授だった福島秋穂の著書『紀記の神話伝説研究』に「発光する神サルダヒコについて」という論考があって、ここでは違う文化圏の人たち(つまり天孫族から見た国つ神=渡来系から見た土着の縄文系の人たち)を、光を放つという観念で見ていたということが書かれています。
これに対し、ワノフスキーはサルタヒコの光り輝く性質を、火山という視点で考えています。
サルタヒコの神は地の神である。彼が火山と関係を有することは極めてありそうなことである。けだし火山の神を除いて、他の如何なる神が空も地も照らし得るであろう?
(『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』第一部より)
1986年、伊豆大島・三原山は、全島民避難に至る大噴火を起こした。火山の火は、空と地を赤く照らしている。ワノフスキーは伊豆大島での噴火体験から、火山神話論を構想した。(写真は伊豆大島町提供)
「サルタヒコ=火山」というワノフスキーの説を念頭に日本書紀の記述を読み直してみると、この神の口、目の赤い輝きは、火山の噴火、溶岩の灼熱した赤を連想させます。
諸々の注釈書によると、「背長七尺餘、當言七尋」(背の長さは七尺あまり、まさに七尋というべし)は、サルタヒコの具体的な身長をいっているのではなく、「七」を重ねて、いかにデカイかを強調しているのだそうです。背がとてつもなく高い──というのは、高い山を連想させます。天孫降臨の神話の舞台として伝承されている高千穂峰は霧島連山第二峰で、標高一五七四メートルですが、急斜面の成層火山で標高よりは、背が高くみえます。
前回のブログでとりあげたように、サルタヒコの巨大な鼻は、火山の溶岩尖塔とよく似た形状をしています。(詳しくは前回のブログをどうぞ)
サルタヒコの目は、赤い「酸醤(かがち)」、すなわちホオズキのようだというのですが、
日本の神話には、赤いホオズキの目をもつ重要なキャラクターがもうひとつ存在します。出雲に天降ったスサノオと対決するヤマタノオロチです。
ヤマタノオロチの形状について古事記は、「その目は赤かがちの如くして、身ひとつに八つの頭、八つの尾あり」と記しています。
ここで私たちは、夏目漱石の朋友、俳人にして随筆家でもある著名な物理学者・寺田寅彦の科学エッセイ「神話と地球物理学」の一節を改めて読み返す必要に迫られます。
八俣大蛇(ヤマタノオロチ)の話も火山からふき出す熔岩流の光景を連想させるものである。(中略)「それが目は酸漿(あかかがち)なして」とあるのは、熔岩流の末端の裂罅(れっか)から内部の灼熱部が隠見する状況の記述にふさわしい。(「神話と地球物理学」)
「赤いホオズキの目」によって、サルタヒコとヤマタノオロチは結びついています。
ハダカホオズキの2枚の写真は、鹿児島県の南端・指宿周辺の話題がいっぱいのサイト「さらさらきらきら」より。サルタヒコ、ヤマタノオロチの「赤カガチの目」にふさわしい鮮烈な色だ。九州南部の鹿児島県・宮崎県は、火山の王国であり、天孫降臨をはじめとする古事記神話の舞台である。
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