ブログ「火山と古事記」
『火山と日本の神話』で示されているワノフスキーの古事記論で、最もユニークな論点は、サルタヒコを火山の神とみなしていることだ。今回は、サルタヒコの鼻にスポットをあてながら、ワノフスキーの古事記論を紹介する。(桃山堂)
サルタヒコは古事記、日本書紀に登場する神々のなかでも、ひどく謎めいた存在で、古来、多くの議論があります。宗教学者の鎌田東二氏の編著で刊行された『謎のサルタヒコ』『隠された神サルタヒコ』など一連の議論がよく知られていますが、2015年10月、藤井耕一郎氏の『サルタヒコの謎を解く』が出版され、サルタヒコの謎がいまなお、謎のままであることを印象づけました。
サルタヒコの謎のひとつに、異様に長い鼻があります。天狗のような鼻です。道祖神としてのサルタヒコはアメノウズメとの夫婦神として祀られているので、巨大な鼻は男根の象徴という説がありますが、定説とはいえないようです。
(写真はブログ「何にもならない日記」より。鎌倉の御霊神社、面掛行列のサルタヒコ)
当ブログの筆者は、『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』を編集する過程で、サルタヒコの鼻について、ひとつのアイデアを得ました。まったくの思い付きにすぎないので、書籍のほうではまったく触れていないのですが、ワノフスキーの火山神話論にもかかわることなので、ここに書きのこしておきます。
ワノフスキーは、古事記の天孫降臨の場面に登場するサルタヒコを、火山の神であると主張し、その暴力的なエネルギーを和らげ、制禦する役割をアメノウズメに見ています。
即ち、女神アマテラスはウズメの神を勇敢で男勝りの女と考えて、サルタヒコの神の企みを調べさせるために先に遣わしたのである。火山の神々は天上の神々と和睦したのである。
天孫降臨は地と天の、火山と太陽の和解と妥協を立証するものである。したがって、サルタヒコの神の外貌はそんな滑稽なものでなく、彼の火山的性格を表現するのみならず、天孫降臨のモメントの重要性と荘厳性に一致したまじめなものでなければならない。
(『火山と日本の神話』所収ワノフスキー著「火山と太陽」より)
ワノフスキーが主張するように、サルタヒコが火山の神であるならば、火山の噴火のとき形成されることがある溶岩のタワー、いわゆる火山尖塔(溶岩尖塔)(volcanic spine)なのではないか──というのが筆者の思い付きです。サルタヒコが登場する天孫降臨神話の舞台は、一説によると、霧島山系のタカチホ(高千穂峰)であり、この山は急斜面の成層火山であるからです。
サルタヒコは、比較的知名度の高い神さまだとおもいますが、古事記で登場するのは、天孫降臨の場面だけです。アマテラスからの指令をうけ、天界(?)から降りてくるニニギ(天皇家の系図のうえでは神武天皇のひいおじいさん)の一団を、対決姿勢で待ち受けていたのがサルタヒコで、女神アメノウズメとの談合を経て、一団を九州のタカチホに案内しています。
古事記、日本書紀の記述をすなおに読むかぎり、サルタヒコは空中のどこかで、天孫降臨の一団に出くわし、先導役を買って出て、九州のタカチホの山に案内しています。神話の筋書きのうえでは、サルタヒコは、タカチホをよく知っていたということになります。タカチホについては古来、ふたつの説があり、ひとつは鹿児島と宮崎の県境にある霧島連山第二峰の高千穂峰、もうひとつは宮崎県の高千穂町です。
高千穂峰は七千年まえから八千年まえ、すなわち縄文時代の噴火によって出現した成層火山です。霧島とはエリア名であり、三十×二十キロメートルの円形のなかに火山や火口に由来する湖が二十ほど集まっており、その広大な円形の周囲をJR九州の線路が走っています。火山の多い日本列島においても、代表的な火山の集積地で、三十万年まえから、休止期間をはさみながら、巨大な噴火をたびたび起こしており、現在も新燃岳だけなどで噴火が継続しています。
高千穂峰登山の起点であるビジターセンターの近くに、火山の鎮静を祈る霧島神宮(鹿児島県霧島市)の遥拝所があり、しばらく歩くと、火山に由来する小石と砂で非常にすべりやすい斜面がつづきます。斜面の角度は45度よりも急角度のところがあり、当てずっぽうですが、30度くらいの印象があります。途中でお鉢火山の火口の縁を歩いて、三時間ほどで山頂に到着しました。山登りの素人の筆者にはけっこうこたえました。山頂をあきらめ、途中で引き返す人もいましたから、短い距離だといって甘く見ず、登山靴は必須だと痛感しました。
高千穂峰はまぎれもない火山ですが、山頂に火口はありません。火口は溶岩で封印された、いわゆる溶岩ドームです。そこには青銅の矛(鉾)が差し込まれています。世に言うところの「天の逆矛」で、切っ先を上向きにして差し込まれています。一説によると、奈良時代にはあったそうですが、今のものはレプリカです。三メートルくらいある長大な青銅の矛です。
サルタヒコが天孫ご一行を案内した、高千穂峰の頂上に「天の逆矛」があるのです。
高千穂峰が出現したのは七、八千年まえというのですから、火山としてはとても新しい部類で、この成層火山の誕生を縄文時代の人たちは確実に目撃しています。というのも、高千穂峰のある鹿児島県霧島市には、縄文時代でも最古級と目される定住集落で有名な上野原遺跡(国史跡)があるからです。この遺跡は県立の博物館も併設されており、ちょっとした観光地になっています。
ここからは、完全に筆者の空想と妄想です。
縄文時代の噴火で、高千穂峰が出現したとき、その山頂には溶岩のタワーである火山尖塔がそびえていた──のではないか。
多くの火山尖塔がたどる経緯と同じように、高千穂峰の溶岩のタワーは崩れ落ち、跡形もなくなってしまったが、その神奇な風景は語りつがれた──のではないか。
溶岩の塔の記憶を再現しているのが、山頂にある「天の逆矛」にちがいない!(かもしれない……)
サルタヒコの鼻が、高千穂峰の溶岩尖塔をシンボライズしたものであるならば、この異様に長い鼻と天の逆矛との関係は、同じ現象を別のスタイルで表現した裏表の関係にあるといえます。
つまり、
高千穂峰の溶岩尖塔 = 天の逆矛 = サルタヒコの鼻
上段一番目の写真は 上記ブログ「何にもならない日記」引用写真のサルタヒコの鼻。
上段二番目の写真は YAHOO知恵袋より。(カムチャッカ半島アバチャ山の溶岩尖塔)
上段三番目の写真は サイト「MT.PELEE」より。(プレー山の溶岩尖塔。西インド諸島マルティニーク島にある活火山)
下段左は、高千穂峰の山頂、右は高千穂峰頂上にある「天の逆矛」
高千穂峰に溶岩尖塔があったかどうか、火山学者ならぬ当ブログの筆者にはわかりません。ただし、いま見ることのできる高千穂峰はけっこうとんがった火山です。粘着性の強い溶岩(耳学問ですが、溶岩に二酸化ケイ素SiO2が多いと粘性が増すらしい)だったことになり、突起のような溶岩の固まりがあったかもしれない──と想像してみた次第です。
■おことわり
『火山と日本の神話』のなかでワノフスキーは、溶岩尖塔の話はまったくしていません。
ワノフスキーが主張しているのは、「サルタヒコは火山の神」というところまでですが、こうした論考はワノフスキーのほか、見当たりません。良くいえばオリジナル、現実には、完全に異端の説として無視されて今日に至っています。
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