ブログ「火山と古事記」
『火山と日本の神話』で示されているワノフスキーの古事記論で、最もユニークな論点は、サルタヒコを火山の神とみなしていることだ。今回は、サルタヒコの鼻にスポットをあてながら、ワノフスキーの古事記論を紹介する。(桃山堂)
ブログ「火山と古事記」
サルタヒコをえがいた絵あるいは祭でつかわれる面は、この神を「赤」によって特徴づけている。サルタヒコを火山の神とみなすワノフスキーの古事記論を道しるべとして、サルタヒコのビジュアルイメージの謎をかんがえたい。
ブログ「火山と古事記」①
スサノオは火山の神である──という議論には七十年以上の歴史があるが、一種のオカルト学説とみなされたのか、古事記関係の研究者からは相手にされていなかった。東日本大震災のあと、地震や火山にかかわる神話への注目が増し、興味をもつ人が増えているようだ。ワノフスキーはこの説の最初の提唱者ではないが、この問題について、最も深く思考し、ユニークな解釈をしている。
ブログ「火山と古事記」②
日本の神々の世界で最も権威と知名度をもっている神さまはアマテラスである。なぜ、アマテラスがいちばん偉いのか? ワノフスキーの古事記論『火山と太陽』を踏まえ、火山神話という仮説から古事記をみると、ひとつの回答が得られる。
ブログ「火山と古事記」③
スサノオとともにワノフスキーの火山神話論の中核にあるのが国産み神話の女神イザナミである。日本列島を産んだ女神に、火山的なエネルギーをみているのだ。イザナミ=火山という仮説的な視点から古事記を読み直すと、いくつかの謎について、その解明の糸口が浮き上がってくる。
古事記にえがかれている黄泉(よみ)の国は、火山の神話とかんけいするのではないかと、ワノフスキーは考えている。もし、それが正しいとすれば、黄泉の国のイメージは、箱根、雲仙、別府など温泉地の「地獄」と重なり、黄泉の国の「黄」は、硫黄の「黄」である可能性が生じる。