「火神の出現――古事記解釈の一節」 山田孝雄 一九二〇年
「新解」さんこと、当辞典の編集主幹・山田忠雄の父親が、「火神の出現」の著者・山田孝雄。
本稿の筆者は国語学/国文学者・山田孝雄のことをほとんど知りません。「よしお」と読むこともつい最近、気が付きました。
「やまだ・たかお」だと思っていました。
ずうとるび、で検索している人、ごめんなさい。
この記事は、ずうとるび、とはかんけいありません。
東北大教授、神宮皇学館大学長、文化勲章受章者というみごとな経歴ですが、学歴は旧制中学卒業です。独学によって小学校、中学校の教員となり、のちに大学の教授にまでなっています。
奇妙な具体性をもつ語釈で知られる『新明解国語事典』の山田忠雄先生の父親なのだそうです。
国語、国文学かんけいの面白い新書を次々に発表している今野真二先生のおじいさんであることも、ウィキペディアをみて初めて知りました。
春になると、新聞、雑誌のコラムその他で、引用されたり、ネタ本とされたりする『桜史』という本の存在は知っていましたが、その著者が、山田孝雄ということも知りませんでした。
京都の愛宕神社といえば、明智光秀が本能寺の変の直前、
「ときはいま あめのしたしる さつきかな」
の連歌をひらいた場所として有名ですが、山田孝雄の経歴をみると、一時期、愛宕神社の名誉宮司をしています。
愛宕神社は火伏せ・火除けの神として信仰され、国産みの女神イザナミ、火の神カグツチなどが祭神とされています。
「火の用心、カチカチ」
火事の起きないことを願う、庶民信仰の総本宮が京都・愛宕神社です。
山田孝雄が京都・愛宕神社の名誉宮司だったことと関係あるかもしれないのが、ここでとりあげる「火神の出現」という論考です。愛宕神社の祭神である火の神カグツチについての一文です。
しかし、そこで検討されているのは、「火の用心」の神さまについての、穏当な庶民信仰ではありません。
カグツチの誕生は激しい火山噴火の記憶を背景としているのではないか──ということを問う、神道の信仰の根元に迫るような論考です。
愛宕信仰の総本宮、京都の愛宕神社。写真はウィキペディア「愛宕神社」より。
古事記は、イザナミが火の神カグツチを産んだとき、ホト(原文は蕃登)すなわち陰部を焼かれて病み、ついには死んだことをしるしています。それに怒った夫のイザナギが剣によって、カグツチを斬り殺すと、その死体から、八つの山が生じています。
山田孝雄は、古事記のこの記述について
「何が故に火神の死体が山となりしか」
と、長く思案していたというのです。
「余、この疑問を持すること久しかりき」
と「火神の出現」に書いています。
ちょうどそのころ、『地質学雑誌』(明治三十四年七月発行)に、福地信世という学者が書いた「伊豆地方の俗用地勢単語」と題する論文を読みます。日本でも有数の火山エリアである伊豆諸島、伊豆地方の地名を調査した報告のようです。山田孝雄はその論文に、
「ホド 火口の事を云ふ。火の処「ホノド」と云ふ事なるべし」
とあるのを見て、女性の陰部(ホト)と火山とのつながりを確信したと「火神の出現」には書かれています。伊豆諸島のひとつ八丈島は火山島で、国に指定されている百十の活火山のうちのひとつです。
山田孝雄が、友人の鋳金家・香取秀真にこの話をしたところ、鍛冶も鋳物師も、フイゴの火を熾すところをホドということを知り、さらに関心を深めたといいます。
『地質学雑誌』に当の論文を書いた地質学者・福地信世は、歌舞伎や舞踊の後援者・専門家でもあり、新作舞踊の作品ものこしているそうです。それもそのはず、この地質学者の父親は、現在でも歌舞伎の人気演目になっている舞踊劇「鏡獅子」をつくった福地桜痴(本名は福地源一郎。明治期の新聞人、作家、政治家)です。
「福地鉱」という日本で発見された新鉱物がありますが、この鉱物名は、地質学者・福地信世にちなんで命名されたものです。
写真左は、秋田県鹿角市花輪鉱山で採取された標本。黒い部分が福地鉱。welbio辞書より。
山田孝雄は、『地質学雑誌』の報告から火山神話のヒントを得ているわけですが、考えてみると、地質学の専門誌を読む国文学者──というのは奇妙な風景です。
なぜ、山田孝雄は、『地質学雑誌』をみていたのでしょうか。
当の論文の著者は、「フクチ」としかしるされていないようですが、山田孝雄は、それが福地信世のことだとすぐにわかったような書きぶりです。
地質学かんけいに相当の土地勘があった証拠です。
『地質学雑誌』を読む国文学者、山田孝雄によって火山神話論が書かれるのは必然であったといえます。
日本列島の遠い過去にたいする関心が、専門分野である国文学なかでは古代以来の日本語の歴史に向けられ、別の方面では、日本の大地を形成した地質学的な悠久の時間に向けられていた、とおもえるからです。
山田孝雄は、「ホト」についての論考を土台として、火の神カグツチを火山の神話として読み解いていきます。「火神の出現」の論考の中核となるところを引用します。
わが日本は火山国なるが故に火神の出づる所を噴火に求むるは原始の時代にては極めて自然なる事はいふまでもなきが、その火山は時ありて爆発して暴威を逞しくするなり。これ火神の恐るべき所以の最も大なるものなり。
かくてかの伊邪那岐神が、火神の首を斬りたまひ、これにより血の迸り出でたりといふは、これ火山の爆裂を語るものにあらざるか、かくてその死体、山神となりしといふは即ち、火山の爆裂やみてここに新なる山の形成を見たるを語るものにあらざるか。
古事記によると、カグツチの首を切ったイザナギの刀の先端についた血は、石の群に走りつき、そこに成った神の名は、石析神(いわさくのかみ)、根析神(ねさくのかみ)。次に石筒之男神(いわつつのおのかみ)、刀のもとのところについた血も、石の群に走りつき、成った神の名は、甕速日神(みかはやひのかみ)、次に樋速日神(ひはやひのかみ)、次に建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)──という具合に、カグツチの血が原因となり、いくつもの神が出現しています。
山田孝雄は、個々の神について、火山噴火の比喩的な表現であると見て、以下のように読み解いています。
石析神、根析神は磐根を破り裂くをいふ事にて噴火の初程をいへるなり。
石筒之男神はけだし岩石砂土の迸出をいへるなり。
次に甕速日神は偉大なる火勢をいへるなり。
樋速日神は溶岩流を樋にたとへたるなるべし。
建御雷之男神は猛威を示せる大音響を雷に比していへるに似たり。以上みな噴火の猛威なる勢を説けり。
石析神、根析神については、本居宣長が「古事記伝」で、石根析(いわねさく)というのを二つに分けて、「二柱に名づけたるもの」と注釈しており、現代の論者もだいたいそれを踏まえてかんがえているようです。いくつかの論を並べてみます。
小学館版「古事記」(山口佳紀 神野志隆光) 「石根を裂く意。刀剣の威力の表象か」
「古事記全注釈」(次田真幸) 「剣の神としての雷神の威力をあらわす」「カグツチノ神は雷火の神であろうと考えられる」
「日本の神様読み解き事典」(川口謙二) 「盤石の神と考えたほうがいい」
岩根とは、「大部分が大地に埋もれて固定した岩」(広辞苑)で、大地そのもののような巨大な岩のことですから、それを切り裂くエネルギーを「噴火の初程」すなわち火山の出現とみるのが山田孝雄の説です。
カグツチの死に連動した建御雷之男神の出現については、火山の爆発的噴火の轟音として解釈しています。
山田説を補強するためのデータとして、「火山雷」(volcanic lightning)という現象を加えることができます。カラーテレビやインターネットの恩恵で、私たちは火山の噴火に、稲光のような現象が生じることを知っており、火山と雷のイメージが重なっていることを理解しやすくなっています。
石析神(いわさくのかみ)、根析神(ねさくのかみ)は、大地を破り裂くほどの、激しい火山のエネルギーである──という山田孝雄の指摘によって、私たちは、「サク」という言葉が、火山に関係している可能性を知ることができます。
上に転載させていただいた火山雷の写真は、桜島です。火山島・桜島に、島名になるほど桜が自生していたとはおもえないのに、どうして、桜島の名を生じたかというのは、かねてより、議論されている問題だと聞きました。
山田説を踏まえると、桜島の「サク」は桜とは関係がなく、火山に由来する「サク」、漢字でいえば「裂」のイメージではないかという連想が生じます。
コノハナサクヤ姫の「サク」は、常識的には桜として理解されていますが、こちらも気にかかります。
山田孝雄の著作のうち、最も広く読まれているのは『桜史』だとおもいます。
講談社学術文庫にも入っていますが、国立国会図書館のウェブサイトでも、『桜史』は公開されています。
古代にさかのぼって、日本列島における桜をめぐる歴史をひもとこうというプランによって編まれているのが『桜史』なので、当然、コノハナサクヤ姫もとりあげられています。
題字は香取秀真。写真は国立国会図書館サイトより。
山田孝雄は、日本語のラリルレロの音はヤイユエヨに変化することがあるので、サクラ姫が変じてサクヤ姫となったという説を支持しています。
コノハナサクヤ姫については、火山とのつながりが種々いわれていますが、『桜史』においては、桜の女神ということにされています。
『桜史』の題字を書いているのは、友人の香取秀真です。香取はすぐれた鋳金家であるだけでなく、金属加工、伝統工芸の歴史についての専門家で、「日本金工史」などの著作があります。「広辞苑」にも出ているほどのビッグネームです。ウィキペディアに詳しい経歴がまとめられているのでリンクさせてもらいます。
香取との対話によって、山田孝雄の火山についての思考が凝縮されていったことは先に述べたとおりです。
ギリシャ神話では、鍛冶の神ヘーパイストスがエトナ火山の噴火口を仕事場としているとおり、火山の溶岩と金属加工の工程における溶解した鉱物は同じイメージに属しています。
山田孝雄は、香取秀真との交流をとおして、金属文化についても深い知識をもっていたことは確実です。
これはほかの国文学者、古事記研究者とはまったく異なる視野を、山田孝雄にもたらしたのかもしれません。「火神の出現」にうかがえる映像的なイメージの豊かさを知り、つい、そんな想像をしてしまいました。 (桃山堂)