紀伊半島の和歌山県と三重県にまたがる熊野地方。世界遺産にもなっている熊野信仰の聖地は、1500万年まえの噴火に由来する熊野カルデラと重なり合っています。
巨大な火山活動とその後の風化作用によって形成された風景が、熊野信仰の背景にあることがいま、注目されはじめています。
『火山で読み解く古事記の謎』では、古事記における神武天皇の行軍ルートが、熊野から奈良県南部に至る太古の火山エリアと交わるという不思議を提示しています。
本のなかでは掲載できなかった場所もふくめて、熊野の火山がつくった神秘の風景を紹介します。
九州南部の火山群が活火山の典型であるとすれば、出雲エリアの火山群にはいわゆる「休火山・死火山」(死語ですが)としての特徴があります。
熊野の火山は風化作用によってその姿さえ消滅させており、もはや死火山とさえいえない〝火山の化石〟です。
紀伊半島で巨大な火山活動があったのは千五百万年ほどまえと考えられていますが、長年の風化によって、盆地状のカルデラ地形はうっすらと痕跡を残している程度です。
紀伊半島の巨大カルデラのひとつ熊野カルデラは四〇×二〇キロと推定されており、その規模は阿蘇のカルデラ(二五×一八キロ)をはるかに上回っています。
カルデラの大きさは噴火のとき噴出されたマグマの総量、すなわち火砕流、火山灰などとして地上に出たマグマの量によって決まります。
熊野におけるカルデア噴火は日本列島の歴史において最大の噴火だったのではないか──という議論があるのはこうした理由によるものです。
熊野在住の地質学者・後誠介氏らによる作図です。 地図は「み熊野ねっと」よりの転載。
紀伊半島の南東部には、三つのカルデラが確認されており、そのいちばん南、地図(左)でいえばA、Bが、熊野カルデラです。地図(右)はその拡大図です。
カルデラといっても、阿蘇のように明確な盆地状の地形が目に見えるわけではありません。
阿蘇が現在の地形になったのは、九万年まえの巨大噴火によるものです。
それに対し、熊野カルデラの形成は千五百万年まえ。
あまりにも遠い時代です。
風化作用によって、当初の盆地状の地形が不明瞭になっているカルデラを、コールドロンと呼び、区別することもあるそうです。
熊野カルデラは、熊野コールドロンとも呼ばれています。
熊野カルデラは、紀伊半島南端から、那智勝浦町、新宮市、田辺市本宮町に至るエリアですが、熊野三社と称される熊野信仰の中核は熊野カルデラと完全に重なっています。
那智勝浦町には熊野那智大社、新宮市には熊野速玉大社、田辺市本宮町には熊野本宮大社が鎮座しています。
このカルデラ地帯には、太古の火山活動に由来する驚異の風景美があり、熊野信仰の背景となっているのです。
熊野那智大社は、滝がご神体のようなもの。
虹がかかって神々しい風景でした。
那智の滝の背景をなす岩は、ほぼ垂直に一三三メートルの高さで切り立って断崖絶壁をなし、何本もの石の柱が並んでいるように見えます。
いわゆる「柱状節理」です。火山の風景を代表する自然の造形です。
滝の背面をなす絶壁は、花崗斑岩と分類され、火山の地下にたくわえられたマグマが冷え固まった巨岩。冷却するときの収縮でタテに柱状の筋目ができるのです。
新宮市の神倉神社は熊野三社のひとつ速玉神社の摂社ですが、一〇〇メートルちょっとの小高い山につづく石段を登りきると、その頂きにバスが空間に浮かんでいるように見える巨石があり、注連縄を巻かれています。
那智の滝と同じく、火山のマグマが冷えてできた花崗斑岩です。
次の写真は、新宮駅から熊野本宮大社へと向かうバスから撮ったものです。
適当にシャッターを押したので、場所は不明ですが、これは柱状節理なのでしょうか。
緑めいた色をした熊野川は、温泉によって酸性を帯びているからでしょうか。
熊野三社で最も権威あるとされる熊野本宮大社。
その主祭神である家津御子大神は、出雲神の筆頭格スサノオと同一視されている──。
これも熊野信仰をめぐる大きな謎です。
熊野信仰の基層にあるのは、温泉ではないかという説があります。
下の写真は、熊野本宮大社のすぐそばというわけではありませんが、本宮温泉と呼ばれる温泉地。
中世の説教節などで有名な小栗判官の伝説で知られるところです。
小栗判官は敵に殺されながら、熊野本宮温泉の霊威によって、もと通りの美丈夫によみがえります。
巨大なカルデラを生み出した紀伊半島の火山活動は、千五百万年まえのことですから、熊野火山は言葉のほんとうの意味で死火山であるはずです。
しかし、熊野火山はほんとうに死んだのでしょうか。
疑惑を生じるのは、熊野カルデラの外輪山跡に沿うように、湯の峰温泉、月野瀬温泉、勝浦温泉、湯川温泉、そして熊野信仰の中枢地である熊野本宮大社の近くに本宮温泉があるからです。八十度、九十度という高温の湯を出すところもあり、マグマ的なエネルギーの気配を漂わせています。
これも後誠介氏らによって作成された地図で、熊野地方における温泉の分布を示しています。
ピンク色の楕円形が、熊野カルデラの外輪山の跡ですから、そこに沿って温泉が点在していることがわかります。
活火山の存在しない紀伊半島の南端部で、なぜ、これほどの高温の温泉があるのかということについては、地質学における謎のひとつとなっています。
ひとつの説は、千五百万年まえの熊野カルデラを生んだ巨大噴火のマグマが冷え切らないまま、高熱の岩体として地下にあって、その熱に温められた水が温泉となってわいていると説明です。
近年、この説には否定的な論者が増えているそうで、太古の火山活動による割れ目があって、それが温泉の湧き出す道になっているという説明もあるそうです。
地下世界は、はるか何万光年先の宇宙よりも、観察が困難であるので、どうしても、「説」の要素がつよくなってしまうそうです。
ともあれ、活火山もないのに高温の湯を噴き出す「神の湯」が熊野信仰の基層にあることは興味深い事実です。
熊野という地名はかなり広いエリアを指しており、和歌山県の南東部から三重県の一部をふくんでいます。
イザナミは火の神カグツチを出産したことによって絶命し、古事記はその墓所の所在地を出雲の比婆山としています。
ところが、日本書紀の諸伝のひとつでは、イザナミを「紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる」とあります。
その伝承地は三重県熊野市のはなのいわや花窟神社とされ、JR熊野市駅から歩いて十分くらいの行きやすい観光地ですが、その光景はこの世ならぬ不思議な気配を漂わせています。
高さ五〇メートルに近い白っぽい巨岩が海岸線のすぐ近くに切り立っており、その足元にイザナミの墓所であることを示す標識があり、玉垣で囲まれた一角があります。
そのすぐ近くに、火の神カグツチの墓が同じようなつくりで設けられています。
悲劇的な母子の墓標であるかのようにそびえ立つ巨石。この不思議な景観は千五百万年まえ、熊野カルデラのマグマが地上に噴き出し、火砕流となり固まったものです。流紋岩質火砕岩と呼ばれています。
熊野地方は、世界遺産の観光地として知られていますが、もうひとつのユネスコ事業である「ジオパーク」にも指定されています。
ジオパークとは、地球科学、地質学のうえで価値のあるエリアを指定し、教育や観光に役立てようという運動です。
そのなかでも熊野のジオパークは、熊野信仰という精神文化と地形・地質との結びつきが明瞭に示されており、古代からの精神文化や信仰に興味のある方には、とてつもなく面白い情報に満ちています。
『火山で読み解く古事記の謎』では紹介していませんが、紀伊半島最南端の駅・串本駅から歩いて三十分くらいのところにも、千五百万年まえの巨大な火山活動に由来する不思議な景観があります。
ジオパークのパネルや展示コーナーがあり、風景をまえに、地質学的なデータを知ることができます。
南紀熊野ジオパークのサイトには、詳しい情報が網羅されており、有益です。